2011年08月31日
三ヶ日の橘神社
静岡県浜松市北区三ケ日町本坂に橘神社があります。
これは橘逸勢が奉られた神社。
橘逸勢といえば、平安時代の三筆の一人として、学識と書の才能を称賛された人物です。しかし842年、陰謀によって謀反の疑いをかけられて、伊豆に流されることになり、その途中、現在の三ケ日町本坂で病死したと伝えられています。
病身の父の身を気遣って後を追ってきた橘逸勢の娘は、父の死に嘆き悲しみ、遺体を葬ったあと、自らは髪を落して妙冲と名乗って尼となり、墓前に庵を構えて毎日読経して父の冥福を祈ったと言い伝えられています。この妙冲の孝行心はやがて都に伝えられ、後に逸勢の罪は許されました。こうした言い伝えを基に橘神社には橘逸勢の墓が祀られていますが、江戸時代までは山の神として祀られ、明治時代に橘神社になりました。
神社内には、1976年に建立された筆塚や、1977年に明治天皇皇后が妙中を詠んだ歌碑や、1995年に建てられた妙中尼観音像、1998年橘逸勢勉学の地の碑を中国に建てた報告碑昭和1995年、境内に「妙冲観音像」と「写経納経塔」が建立されています。
現在神社は、橘逸勢史跡保存会の方々によって維持され、字がうまくなるようにと使い古した筆や鉛筆を納めて供養祭などが行われています。
Posted by network-jimukyoku at 15:20│Comments(0)
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